于 綽(う しゃく)は、魏の広平郡任県の県令。文帝曹丕のとき、学問を修め拒んで出仕に応じず数百人の門弟を従えていた張臶という老人が任県に移り住んでいた。236年張掖郡の玄川が氾濫し、濁流の中から宝石が見つかった。朝廷では「この宝石は吉兆をになって出現した。魏の嘉運のしるし。」と見定めたので、県令の于綽は、何度も足を運んで張臶に質問した。張臶は内密に于綽に向かって言った。「神事は未来を予測するもので過去をさかのぼりはしない。漢はとうの昔に滅び魏は既に目的を達成している。その吉兆は過去の魏のものではなく未来に起こるものだ。」
ウィキペディアより