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王允 子師

  • 人物番号: 0131
  • 姓 名 : おう いん
  •  字  :  子師 しし
  • 出身地 : 太原郡たいげんぐん 祁県きけん
  • 生没年 : 137 ~ 192
  • 性 別 : 男性

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王 允(おう いん、137年 - 192年)は、中国後漢末期の政治家。字は子師。并州太原郡祁県(現・山西省晋中市太谷県)の人。呂布と共謀して董卓を殺害したが、その部下に逆襲されて殺害された。兄は王宏。子は王蓋・王景・王定(王宗)。甥は王晨・王凌。 前歴 若い頃、名儒として名を馳せていた郭泰から「王允は一日に千里を走り、王佐の才(王を佐(たす)ける才。主君に仕えてその人を偉大足らしめる才能)である。」と評されていた。 19歳にして郡の役人となった。当地では、趙津という者が悪行を繰り返し問題となっていたが、王允はこれを捕らえて処刑した。このため趙津の兄弟が怒り、中央の宦官に賄賂を送り王允への復讐を行おうとした。宦官が桓帝に事実を捻じ曲げて報告したため、桓帝は王允の上司であった太守を投獄し処刑した。王允は太守の棺を持って太守の故郷の平原(山東省徳州市平原県)まで持ち帰り、自分の親が死んだ場合と同じだけの3年間を喪に服し、喪が明けると復職した。

ウィキペディアより

王允の一族
    No Data

王允が登場する文献
  • 1-25,1-426,1-428~433,2-10~11,3-83,3-200,4-224,5-52.

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