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温恢 曼基

  • 人物番号: 0312
  • 姓 名 : おん かい
  •  字  :  曼基 まんき
  • 出身地 : 太原郡たいげんぐん 祁県きけん
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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温 恢(おん かい、181年? - 225年?)は、後漢末から魏 (三国) 魏時代の武将・政治家。字は曼基。太原郡祁県の人。涿郡太守・温恕の子。 <br/>豪族の家に生まれるが、15歳の時に父を亡くす。その時の温恢は亡父の棺を守って、故郷に帰った。財産家であったが、乱世なのだから財産を持っていてもどうなるか分からないと言い、親族に亡父が遺した財産をすべて分与したという。そのことが評価されて郷挙里選 孝廉に推挙され、近衛兵 郎中となった。間もなく、廩丘(りんきゅう)県令として赴任し、治績を挙げた。以降も鄢陵の県令、広川の県令、彭城郡の相、魯国の相など地方官を歴任し、曹操に評価され召還されて、丞相主簿に任じられた。<br/>208年に、劉馥が逝去すると、その後任として楊州刺史となって、再び地方に赴任した。曹操から丹陽郡太守だった蒋済(楊州出身)を補佐として付けられ、合肥の守将である張遼、楽進と相談して事に当たるよういい含められた。<br/>

ウィキペディアより

温恢の一族

温恢が登場する文献
  • 3-66,3-131,4-91,4-191.

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