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華覈 永先

  • 人物番号: 0323
  • 姓 名 :  かく
  •  字  :  永先 えいせん
  • 出身地 : 呉郡ごぐん 毗陵県ひりょうけん
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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華 覈(か かく、219年 - 278年)は、中国三国時代の呉の政治家。字は永先(《建康実錄》作永光)。揚州呉郡武進県の人。 生涯 政治手腕に優れていたため、上虞県の尉を務めていたとき、その治世に大きな功績を挙げている。この功績をきっかけにして、典農都尉・秘府郎・中書丞と昇進を続け、呉末期の重臣の一人となった。 263年、魏が蜀漢を滅ぼしたとき(蜀漢の滅亡)、孫休に対して魏に警戒するよう進言した。 264年、孫休死後に孫皓が即位すると、徐陵亭侯に封じられた。国政の方針や人材登用などで孫皓から重用され、多くの臣下達が粛清される中で、孫皓の不興を買うこともなく、長く仕え続けた。 華覈は人物眼に優れていたため、孫皓に多くの有能な士を推挙する一方で、孫皓に百通を超える上奏文を奉っている。また文学的才能にも優れており、孫皓の要望もあったため東観の令を任された。『呉書』(三国志の呉書とは別)の編纂を命じられた韋昭とは親友で、自身も右国史に任命され『呉書』の編纂に協力した。後に、韋昭が孫皓の怒りを買って処刑されることになったとき、その処刑に最後まで反対したが、救うことはできなかった。

ウィキペディアより

華覈の一族
    No Data

華覈が登場する文献
  • 6-208,6-405,7-42,8-25,8-43,8-156,8-173,8-177,8-180.

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