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闞沢 徳潤

  • 人物番号: 0444
  • 姓 名 : かん たく
  •  字  :  徳潤 とくじゅん
  • 出身地 : 会稽郡かいけいぐん 山陰県さんいんけん
  • 生没年 : ? ~ 243
  • 性 別 : 男性

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『カン沢』より 闞 沢(かん たく ? ~ 243年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家・儒学者。字は徳潤。揚州会稽郡山陰県の人。『三国志』呉書に列伝が立てられている。 生涯 貧農の家に生まれたが、苦学して優れた学識を身に付け、郷里において名を知られるようになった。孝廉に推挙されて銭唐県長となり、次いで郴県令を務めた。やがて孫権が驃騎将軍になると招聘を受け、西曹掾に任命された。 孫権の即位に伴い尚書となり、嘉禾年間には中書令に遷り、侍中を兼務した。嘉禾6年(237年)、孫和の講師となり、諸学や儀礼を教えた。赤烏5年(242年)に孫和が皇太子に立てられると、太子太傅を兼務して引き続き孫和の教育にあたった。闞沢は孫和と孫覇の二皇子のため、諸学説を勘案し注釈を施したものを教科書として授けた。 諸学に通じた闞沢であったが、中でも暦数に通暁していた。当時、呉で用いられていた乾象暦(後漢末の劉洪(りゅうこう)が作成)は暦と実際の季節の間に誤差が生じていた。そこで闞沢は『乾象暦注』を著して修正を加えた。この結果、乾象暦の誤差は解消され、呉の滅亡に至るまで用いられた。

ウィキペディアより

闞沢の一族
    No Data

闞沢が登場する文献
  • 7-26,7-29,7-213,7-221,7-325,7-330,8-77.

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