正史三国志データベース 三国検索
ホーム人名事典 > 桓範 元則

桓範 元則

  • 人物番号: 0447
  • 姓 名 : かん はん
  •  字  :  元則 げんそく
  • 出身地 : 沛国はいこく
  • 生没年 : ? ~ 249
  • 性 別 : 男性

人物伝 ウィキペディアで 桓範 を調べる

桓 範(かん はん、? - 249年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将、政治家、文学者。魏に仕えた。字は元則。豫州沛国の人。妻の名は仲長。子は男子一人(名は不明)。『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」などに記録がある。 生涯 魏臣として出世 建安年間の末期、朝廷の実権を握る曹操に仕え、丞相府に入った。沛国出身者のうち、仕官した順番が曹真の次であったという。延康年間には羽林左監に任じられた。 曹丕(文帝)が禅譲により即位すると、引き続き魏に仕えた。曹丕の命令で王象達と共に『皇覧』の編集に従事した。 曹叡(明帝)の時代、中領軍・尚書となった。尚書令在任時は、職務に通じた人材であると高く評価されていたという。 後に地方に出され、征虜将軍・東中郎将、使持節都督青徐諸軍事に昇進し、下邳に駐屯した。あるとき、徐州刺史であった鄭岐と言争いになったため、節を利用して鄭岐を斬ろうとした。しかし鄭岐が上奏したため、裁定が行なわれた結果、非は桓範の側にあると決定を下されてしまった。

ウィキペディアより

桓範の一族
    No Data

桓範が登場する文献
  • 1-298,2-181~185,2-190,2-226,2-510,3-493,4-228.

正史三国志データベース 三国検索 SANGOKU KENSAKU SINCE 2003

© 2003 Forumkj