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司馬防 建公

  • 人物番号: 0536
  • 姓 名 : 司馬しば ぼう
  •  字  :  建公 けんこう
  • 出身地 : 河内郡かだいぐん 温県おんけん
  • 生没年 : 149 ~ 219
  • 性 別 : 男性

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司馬 防(しば ぼう、149年 - 219年)は、中国後漢末期の政治家。字は建公。司隷河内郡温県の人。曾祖父は司馬鈞。祖父は司馬量。父は司馬儁。子は司馬朗・司馬懿他8人いたが、皆優秀で全員が字に「達」の字を持っていたため「司馬八達」と呼ばれた。曾孫は晋(西晋)の武帝(司馬炎)にあたる。先祖は司馬卬まで遡るという。曾祖父は征西将軍にまでなり、祖父も豫章太守、さらに父も潁川太守まで昇った(『晋書』「宣帝紀」)。質実剛健で、寛いでいるときも威厳を崩さなかったという。『漢書』の名臣列伝を愛読し、諳んじることができた。州郡に取り立てられ、洛陽県令・京兆尹を歴任、老年になると騎都尉に転任となった。村里に住まい自分の生き方を守って門を閉ざしていたという。子との関係は厳格で、司馬懿ら息子たちは成人した後であっても、言いつけがなければ部屋に入ることも、座したり発言することも許されなかったという。建安24年(219年)に71歳で没した(『三国志』魏志「司馬朗伝」が引く司馬彪の「序伝」・『続漢書』)。治書御史の職にあったとき、董卓が後漢の実権を握り、洛陽から長安への遷都を強行したため、それに従うことになったが、このとき司馬朗に命じて、家族を故郷に戻らせたという(『三国志』魏志「司馬朗伝」)。尚書右丞であった司馬防は、孝廉に挙げられていた若き日の曹操を、洛陽北部都尉に起用したという(「武帝紀」が引く『曹瞞伝』)。後に曹操は後漢の実権を掌握し、魏王にまで昇ると、鄴に司馬防を呼び寄せてともに飲食を楽しんだ。曹操は司馬防に、今でも自分を尉に推挙するかと聞いたところ、司馬防が「昔、王を推挙したときは、その官職がちょうどよかったまでのことでございます」と答えたため、大笑いしたという(「武帝紀」が引く『曹瞞伝』)。

ウィキペディアより

司馬防の一族
    No Data

司馬防が登場する文献
  • 1-107~108,3-103~104,4-20.

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