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朱異 季文

  • 人物番号: 0545
  • 姓 名 : しゅ 
  •  字  :  季文 きぶん
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ 257
  • 性 別 : 男性

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朱 異(しゅ い、? - 257年)は、中国三国時代の武将。呉に仕えた。字は季文。呉郡呉県の人。父は朱桓。従父は朱拠。 幼いときからその聡明さが評判であり、朱拠を感心させたという(『文士伝』)。孫権は父が高官であることを理由に朱異を郎に取り立てた。父の死後に騎都尉となり、父の兵を預かるようになった。赤烏4年(241年)、朱然の指揮下で樊城攻撃に参加し、自ら献策して呂拠と共に城の外周陣地を撃破し、その功績を称えられ偏将軍となった(芍陂の役)(「呂範伝」)。魏の文欽が砦を多数築き、そこに呉の降伏者を収容し国境で略奪を働いていたため、朱異は二千の兵を率いてこれを打ち破った。この功績により揚武将軍となった。 あるとき、孫権は朱異と軍事について論じ合い、応対が気に入ったため、朱拠に対し朱異のことを「肝が据わった噂通りの男」と称えたという。 250年、文欽が偽の降伏を申し入れてきたが、朱異はこれを見破り、孫権に信用しないよう申し入れた。孫権は呂拠に命じ、大軍を率いて文欽の身柄を引き取りに行かせたが、文欽は現れなかった。

ウィキペディアより

朱異の一族
    No Data

朱異が登場する文献
  • 4-216,4-253,4-260~261,6-158,6-170~171,6-174~175,6-317,7-155,7-179,7-185,7-187,8-112,8-133,8-137,8-139.

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