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朱儁 公偉

  • 人物番号: 0547
  • 姓 名 : しゅ しゅん
  •  字  :  公偉 こうい
  • 出身地 : 会稽郡かいけいぐん
  • 生没年 : ? ~ 195
  • 性 別 : 男性

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朱 儁(しゅ しゅん、? - 195年)は、中国後漢末期の武将、政治家。字は公偉。会稽郡上虞県(浙江省紹興市上虞区)出身。子は朱符・朱皓。『後漢書』に伝がある。 幼い時は早くして父を亡くしたため貧しく、母が内職をして生活を支えた。親孝行で評判となり、義を好み財に執着しなかったため、県の門下書佐となった。同郡の周規という者が三公の招聘を受けて上洛するにあたり、金品が不足したため、母の財産をこっそり持ち出し、周規に渡した。母には責められたが、小さな損失が大きな利益につながるのだと弁明した。 県長の度尚に推挙され、韋毅が太守の時代に郡に仕えるようになり、尹端が太守の時代には主簿となった。尹端は賊の許昭の討伐に失敗し、揚州刺史の上奏により死刑にされそうになるが、朱儁は密かに京師に行き、役人に賄賂を贈り、上奏文の内容を訂正させることに成功したため、尹端は流刑に減刑された。尹端は刑を減じられたことを喜んだものの、誰の仕業によるものかはとうとう分からなかった。 徐珪が太守の時代に孝廉に推挙され、蘭陵県令となる。蘭陵での働きぶりが、東海国の相の目に止まり、中央に報告された。

ウィキペディアより

朱儁の一族
    No Data

朱儁が登場する文献
  • 1-20,6-11~14,6-31,7-10,7-219.

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