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朱然 義封

  • 人物番号: 0548
  • 姓 名 : しゅ ぜん
  •  字  :  義封 ぎほう
  • 出身地 : 丹陽郡たんようぐん
  • 生没年 : 182 ~ 249
  • 性 別 : 男性

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朱 然(しゅ ぜん、182年 - 249年)は、中国後漢末期から三国時代の武将。呉に仕えた。字は義封。丹陽の人。朱治の甥で養子。朱績の父。『三国志』呉志に伝がある。 若き日 元来の姓は施氏だったが、13歳の時、母の実弟である朱治に子がなかったことから、孫策の仲立ちで朱家の養子となる。孫策は丹陽郡の役所に命じて、羊の肉と酒を供え朱然を召しださせ、呉に到着後は厚く礼遇した。 かつて孫権と机を並べて書物を学び、恩愛を結んだ。孫権が孫策の跡を継ぐと、19歳で会稽郡の余姚県の長となった。後に山陰県の令に昇進し、折衝校尉を加えられ、5つの県を管轄下においた。孫権は朱然を高く評価し、わざわざ丹陽郡を分割して臨川郡を設置すると、朱然を臨河郡の太守に昇進させ、兵士2000人を預かる身分とした。 孫呉の中核を担う その頃、山越の不服従民の反乱が起きるが、朱然はこれを1ヶ月で平定した。曹操が濡須へ侵攻してくると、朱然は大塢と三関屯の防備にあたり、偏将軍の位を与えられた。

ウィキペディアより

朱然の一族
    No Data

朱然が登場する文献
  • 1-263,1-289~290,1-293~294,3-69,3-128,3-499,4-23,4-105,4-194,4-212,6-85,6-90,6-144,6-149~150,6-152,6-154,6-156~157,6-161,6-242,6-384,6-395,7-69,7-101,7-117,7-123,7-151,7-164,7-187,7-272,7-277,7-325,7-380.

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