諸葛 誕(しょかつ たん、? - 258年)は、中国三国時代の魏に仕えた政治家・武将。字は公休。徐州琅邪郡陽都県の出身。呉の諸葛瑾・蜀漢の諸葛亮兄弟の族弟(遠縁の従弟、はとこ)にあたる。諸葛誕は諸葛珪の末子という説もある。 生涯 魏の重鎮として 『世説新語』によると、若き諸葛誕が仕官した時に「蜀漢は其の竜を得、呉は其の虎を得、魏は其の狗を得たり」と言われた。諸葛亮を竜、諸葛瑾を虎、諸葛誕は狗に喩えられた。ここでの「狗」は「功狗」、「功ある者」の意味で、つまり彼への賞賛であり、魏・呉での名声は高かったという。。また文帝(曹丕)の遠征時に杜畿が船を建造し、試運転している際に風にあおられて船が転覆した時、若き日の諸葛誕も川に転落したが、諸葛誕は溺れながら「杜侯を先に助けてくれ」と言い、結果自身は意識不明となるも岸に流れ着き一命をとりとめ、杜畿は水死している。
ウィキペディアより