正史三国志データベース 三国検索
ホーム人名事典 > 曹昂 子脩

曹昂 子脩

  • 人物番号: 0599
  • 姓 名 : そう こう
  •  字  :  子脩 ししゅう
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ 197
  • 性 別 : 男性

人物伝 ウィキペディアで 曹昂 を調べる

曹 昂(そう こう、? - 197年)は、中国後漢末期の武将。字は子脩。曹昻とも表記される。父は曹操。同母弟は曹鑠。同母姉妹は清河長公主(夏侯楙夫人)。異母弟は曹丕・曹沖・曹均ら。 生涯 生母の劉夫人が早くに亡くなったため、劉夫人の次に曹操の正室となった丁夫人に育てられた。20歳で孝廉に推挙された。 197年、曹操は張繍の降伏を受け容れたが、その際に張繍の叔父である張済の未亡人と密通した。これを知った張繍が激怒したため、曹操は密かに張繍殺害計画を立てた。しかし、それに気づいた張繍は先手を打って、宛にいた曹操に奇襲をかけてきた。襲撃された曹昂は父を無事に逃すため、自らの馬を差し出した(『三国志』魏書武帝紀注『世語』)。このため曹操は無事に逃れる事ができたといわれる。一方の曹昂は張繍軍の攻撃を受け、曹安民や典韋らとともに戦死してしまった。 曹昂の死を知った丁氏(丁夫人)はこれを恨み、自ら離別して実家に戻った。曹操が丁氏に対し深く謝罪したが、丁氏は二度と曹操の下へ戻ろうとしなかった。 魏王朝成立後、豊の悼公と諡された。 『三国志』の注に引く『魏略』によれば、弟の曹丕(文帝)は即位後に「兄の子脩(曹昂)が生きていても限界があっただろうが、(天才的な才能の持ち主だったと言われる)弟の倉舒(曹沖)が生きていたなら、わしは主となって天下を治められなかっただろう」と語ったという。

ウィキペディアより

曹昂の一族
    No Data

曹昂が登場する文献
  • 1-35~36,1-213,1-374~375,3-343,3-347.

正史三国志データベース 三国検索 SANGOKU KENSAKU SINCE 2003

© 2003 Forumkj