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孫登 子高

  • 人物番号: 0636
  • 姓 名 : そん とう
  •  字  :  子高 しとう
  • 出身地 : 呉郡ごぐん 富春県ふしゅんけん
  • 生没年 : 209 ~ 241
  • 性 別 : 男性

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孫 登(そん とう、209年 - 241年)は、中国三国時代の呉の皇太子。字は子高。父は孫権。子は孫璠・孫英・孫希。妻は周瑜の娘・芮玄の娘。 幼少の頃から聡明であった。長男として生まれたが、生母の身分が低かったため、孫権の妻の一人である徐夫人に育てられた。当初は後継者の地位も危ぶまれていたが、孫登自身が聡明で人望もあったため、後に皇太子となった。 221年、孫権が呉王になると東中郎将の官位を与えられ、万戸侯に封じられた。しかし、病気を理由として辞退した。同年のうちに太子となった。優れた若者が周囲に集められ、諸葛恪・張休・顧譚・陳表が孫登の側近となり、友人として一緒に学問・乗馬・射撃に励んだ。 孫権は『漢書』を学ばせるため、張昭に講師をさせようとしたが、そこまで張昭の手を煩わせるまでもないと判断し、代わって張休に講義させた。 孫登は周囲の友人達に対し、君臣の礼を超えた付き合いをしたといわれ、車に同乗したり、寝食をともにしたりもした。張温の薦めにより中庶子の官が設置され、陳表達がそれに就任すると、孫登は中庶子達が君臣の礼に捉われ過ぎているとして、頭巾をとるよう命じたりした。

ウィキペディアより

孫登の一族
    No Data

孫登が登場する文献
  • 2-496,6-90,6-99,6-107,6-123,6-126,6-144,6-149,6-293,6-361~362,6-367,6-377,6-394~395,7-24~26,7-66,7-129,7-317,7-327,7-365~366,8-12,8-15,8-49,8-88.

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