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張郃 儁乂

  • 人物番号: 0664
  • 姓 名 : ちょう こう
  •  字  :  儁乂 しゅんがい
  • 出身地 : 河間国かかんこく 鄚県ばくけん
  • 生没年 : ? ~ 231
  • 性 別 : 男性

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『張コウ』より 張 郃(ちょう こう、? - 231年(太和5年))は、中国後漢末期から三国時代の魏にかけての武将。字は儁乂(しゅんがい)。『三国志』魏志に伝がある。冀州河間郡鄚(ばく、現在の河北省任丘市)県の人。子は張雄・他四名。 初め韓馥、次いで袁紹に仕え、官渡の戦いにおいて曹操に降伏し、以後は魏の宿将として長く活躍した。 生涯 曹操に仕えるまで 若い頃に黄巾討伐の募兵に応じて軍の司馬となり、韓馥配下となった。 韓馥の没落後、張郃は袁紹に仕えて校尉に任命され、公孫瓚との戦いなどで活躍した。袁紹は張郃の功績の大きさを認め、寧国中郎将に任命した。 200年、官渡の戦いで袁紹と曹操の戦闘は膠着状態に陥っていた。張郃は戦局を打開するため、軽装の騎兵で曹操の背後を撹乱する作戦を進言したが、袁紹には容れられなかった(『漢晋春秋』)。 やがて、曹操自らが袁紹の軍糧の集積地である、烏巣の淳于瓊を襲撃したという知らせが入った。張郃は曹操が精鋭を率いていることから、淳于瓊に援軍を送るよう袁紹に進言したが、同僚の郭図は反対し、総軍で曹操の本営を攻撃するよう進言した。

ウィキペディアより

張郃の一族
    No Data

張郃が登場する文献
  • 1-48,1-79,1-98,1-102,1-198,1-227,1-290,1-477,2-146~148,2-168,2-273,3-215,3-224~225,3-227,3-328,4-36,4-40,4-108~109,4-179~181,5-53,5-79~80,5-120,5-127,5-135~138,5-174~175,5-211,5-258,5-284,5-396,5-422,6-97,6-165~166.

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