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趙累

  • 人物番号: 0684
  • 姓 名 : ちょう るい
  •  字  : 
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ 219
  • 性 別 : 男性

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趙 累(ちょう るい、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。 事跡 劉備配下。荊州を守る関羽に付いた都督。建安24年(219年)、関羽は孫権軍の呂蒙・陸遜に荊州の各地を攻め落とされ、麦城に追い込まれた。関羽は、城壁に旗や人形を立てて敵軍を欺きつつ脱出したものの、兵が四散。関羽についてきたのは、子の関平と趙累のほか僅か10数騎だった。結局、臨沮県章郷(南郡)で孫権軍の潘璋・朱然に退路を断たれ、そこで潘璋の部下馬忠に、関羽父子と共に捕らえられた。関羽父子がその場で斬首されたものの、趙累はどのように処遇されたか不明である。 三国志演義の趙累 小説『三国志演義』では、関羽配下の軍前都督・糧秣官として登場する。王甫は、趙累を忠義無類の廉直の士と評価し、潘濬に替えて荊州を守らせるよう関羽に進言する。しかし関羽は、趙累の糧秣官としての任務の方が重要として、その言を採り上げないことになっている。その後、荊州を喪失して苦境に陥った関羽に、趙累は呂蒙を不義として詰問するよう進言する。関羽もそれに従うが、効果は上がらず、次いで麦城に退いた後、趙累は劉封・孟達に援軍を求めるよう関羽に進言している。

ウィキペディアより

趙累の一族
    No Data

趙累が登場する文献
  • 6-85,7-151.

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