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陳珪 漢瑜

  • 人物番号: 0689
  • 姓 名 : ちん けい
  •  字  :  漢瑜 かんゆ
  • 出身地 : 下邳国かひこく
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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陳 珪(ちん けい、生没年不詳)は、中国後漢末期の官僚。字は漢瑜。曾祖父は陳屯。祖父は陳亹(ちんひ、広漢太守)。従父は陳球(太尉)。従兄弟は陳瑀(呉郡太守)・陳琮(汝陰太守)。子は陳応・陳登。 生涯 『三国志』や『後漢書』によると、190年代頃に豫州沛郡(現在の江蘇省沛県を中心とする地域)の相であった。ある時(195年頃か)、揚州を中心に朝廷から半ば独立していた袁術に、文書で配下となるよう求められた。陳珪と袁術は共に漢の大官の子孫であり、若い頃から交遊があった事による勧誘であった。しかし陳珪は、時勢が帝を推戴した曹操によってまとまり始めており、朝廷に仕え続けると答えてこれを拒否した。また、袁術が呂布に縁談を持ちかけた際には、この二人が提携する事で騒乱がさらに深まる事を恐れ、呂布に持ち掛けて破談させた。怒った袁術が張勲に大軍を率いさせ徐州に攻め込ませると、呂布は陳珪に「貴公のために袁術が攻めて来たではないか」と詰問した。しかし陳珪は、巧みな計略で袁術軍を混乱させて破った。その一方で子の陳登を許に遣わし、呂布に左将軍の官位を与えて有頂天にさせるとともに、陳登に呂布を討つよう曹操を唆させた。

ウィキペディアより

陳珪の一族
    No Data

陳珪が登場する文献
  • 1-502,2-21~22,2-25,4-321.

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