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陳震 孝起

  • 人物番号: 0691
  • 姓 名 : ちん しん
  •  字  :  孝起 こうき
  • 出身地 : 南陽郡なんようぐん
  • 生没年 : ? ~ 235
  • 性 別 : 男性

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陳 震(ちん しん、? - 235年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。蜀漢に仕えた。字は孝起。子は陳済。荊州南陽郡の人。 劉備が荊州牧となったとき、従事として招かれ、その家臣となり諸郡の管理を掌った。 劉備が益州を攻略する際には龐統らと共に益州に向かった。214年、劉備が益州を支配すると蜀郡北部都尉(後に郡名が変更され汶山太守)となり、後に犍為太守へ転任した。 劉禅が即位すると、陳震は225年に中央へ戻されて尚書に任じられ、尚書令に昇進した。同年には呉に使者として派遣されているが、目的が史書に記されていない。この年には諸葛亮が南征を実施している。 229年、同盟関係にあった呉の孫権が即位すると、蜀の国内が動揺したが、諸葛亮は呉との同盟関係を維持することに決め、衛尉に昇進していた陳震を祝賀の使者として呉に赴かせた(「諸葛亮伝」が引く『漢晋春秋』)。諸葛亮は兄の諸葛瑾に手紙を送り、陳震の人物を「老いてますます誠実な性格である」と賞賛し、呉蜀の友好関係を発展させるに相応しい使者だと紹介している。

ウィキペディアより

陳震の一族
    No Data

陳震が登場する文献
  • 5-135,5-260,6-124.

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