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丁原 建陽

  • 人物番号: 0704
  • 姓 名 : てい げん
  •  字  :  建陽 けんよう
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ 189
  • 性 別 : 男性

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丁 原(てい げん、? - 189年)は、中国後漢時代末期の政治家。字は建陽。 生涯 元は寒門の出身で、武勇に秀で騎射を得意としたが、人となりは粗略で、官吏としての能力は少なかった。命令を受ければ難を避けず、賊を追う際にはいつも先頭に立った。南県の官吏を経て、并州刺史や騎都尉を務め、この頃に呂布を属僚に取り立てている。 霊帝の死後、宦官誅殺を目論む何進によって董卓・橋瑁らとともに洛陽に召し寄せられた。何進は命令を偽り丁原に孟津へ兵を放たせ、賊徒「黒山伯」の仕業と称し、これをもとに宦官を誅殺するよう何太后に圧力を掛けた。孟津が燃えさかる光景は洛陽城内まで届き、何太后は恐れ慄いたが、宦官を排除するには至らなかった。その後、執金吾となった。 何進と宦官勢力が立て続けに排除されると、丁原もまた董卓の手引きで呂布に殺害され、彼の配下の兵は呂布に従って董卓軍に吸収された。また、当初董卓の兵は三千に過ぎなかったが、何進・何苗・丁原の兵を立て続けに吸収したことでその勢力は大いに膨らみ、以後朝廷の実権を掌握することにつながっていった。

ウィキペディアより

丁原の一族
    No Data

丁原が登場する文献
  • 1-410,2-9,2-29,2-66,2-90,3-212.

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