費 詩(ひ し、生没年不詳)は、中国後漢時代末期から三国時代にかけての蜀漢の政治家。字は公挙。益州犍為郡南安県の人。子は費立。 事績 劉璋に仕えて綿竹県令を務めていたが、劉備が攻めて来ると率先して降伏し、その家臣となった。劉備が益州を平定すると、督軍従事に任じられる。その後、牂牁太守となり、さらに中央(成都)へ戻って益州前部司馬に任命された。 劉備が漢中王となると、費詩は関羽の下に派遣されて前将軍への任命を告げた。ところが、黄忠が後将軍に任命されたと聞くと、関羽は「大丈夫が老兵と同列になるものか」と怒った。費詩が「そもそも王者が任用するものは一人ではありません。かつて高祖の漢武(劉邦)が古参の蕭何・曹参らを差し置いて新参の韓信を最高位に就けましたが、その事で蕭何らが不満を抱いたなどと聞いた事がありません。この度、黄忠は一時の功績によって出世しましたが、漢王(劉備)の将軍(関羽)に対する心中の評価が、どうして黄忠と同じでありましょうか。
ウィキペディアより