正史三国志データベース 三国検索
ホーム人名事典 > 劉放 子棄

劉放 子棄

  • 人物番号: 0823
  • 姓 名 : りゅう ほう
  •  字  :  子棄 しき
  • 出身地 : 涿郡たくぐん
  • 生没年 : ? ~ 250
  • 性 別 : 男性

人物伝 ウィキペディアで 劉放 を調べる

劉 放(りゅう ほう、? - 250年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家。魏の重臣。字は子棄。涿郡の人。『魏書』に独立した伝がある。 生涯 前漢の武帝の第三子である燕刺(らつ)王劉旦の末裔である。その直祖は刺王の玄孫である西郷侯の劉宏(劉容)で、その後裔にあたる。 郡の綱紀になり孝廉となったが、戦乱の世となると漁陽郡(河北省南部)の豪族の王松を頼った。曹操が官渡の戦いで袁紹に大勝し河北に進出すると、王松を説得し曹操に味方するよう説いた。丁度その時、曹操から王松へ帰順を促す手紙が届いたため、王松は曹操への帰順を決意し、劉放に手紙を書かせた。それが曹操の目にとまり、以前の王松への進言の話を聞いた曹操は劉放の才能を買い、参司空軍事に取り立てた。以後、主簿記室となり、数箇所の県令職などを務めた。 曹丕(文帝)が献帝より禅譲を受け帝位に就き、魏を建国すると、秘書郎を経て中書監(秘書郎の長官)に就き、給事令・関内侯を与えられ、孫資と共に政治の機密を担った。

ウィキペディアより

劉放の一族
    No Data

劉放が登場する文献
  • 1-272~275,1-288,1-292,1-297,2-173,3-70,3-80,4-107,4-255,4-291.

正史三国志データベース 三国検索 SANGOKU KENSAKU SINCE 2003

© 2003 Forumkj