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吉本

  • 人物番号: 1027
  • 姓 名 : きつ ほん
  •  字  : 
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ 218
  • 性 別 : 男性

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吉 丕(きつ ひ、? - 218年)は、中国後漢末期の人物。吉本(きつ ほん、拼音: Jí Bĕn)とも呼ばれる。字は不明。『三国志』魏志武帝紀に記録がある。司隷馮翊郡池陽県(陝西省咸陽市)の人である吉茂(『三国志』魏書常林伝注引『魏略』吉茂伝)の一族か。

生涯
曹操が台頭し魏王となっていた頃、太医令の地位にあった。218年、息子たち(吉邈(字は文然)・吉穆(字は思然))と共に金禕・韋晃・少府耿紀らが起こしたクーデターに加担した。当時、曹操は朝廷が置かれていた許(許昌)を離れる際、腹心である王必に兵を率い駐屯させていた。息子たちは金禕の人物が優れており、また金禕と王必が親しくしていたことを利用し、金禕と共に私兵を率いて王必に夜襲をかけた。しかし王必は負傷しながらも脱出し、許の南側の城に拠ったため、吉丕たちの兵は離散したという。王必は典農中郎将の厳匡と共に討伐軍を起こし、吉丕たちを斬って乱を平定した。『三輔決録』の注と『献帝春秋』において、吉邈・吉穆・金禕・耿紀・韋晃の動静の記述があるが、吉丕については正史の本文において、乱を起こして斬られたという記述しかない。
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ウィキペディアより

吉本の一族
    No Data

吉本が登場する文献
  • 1-109~110,4-21,4-268.

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