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許劭 子将

  • 人物番号: 1055
  • 姓 名 : きょ しょう
  •  字  :  子将 ししょう
  • 出身地 : 汝南郡じょなんぐん
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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許 劭(きょ しょう、繁体字 許劭; 簡体字 许劭; ピン音 Xǔ Shào 和平元年(150年) - 興平2年(195年))は、中国後漢末期の人物批評家。字は子将。豫州汝南郡平輿県の人。従兄は許靖。兄は許虔(字は子政)。子は許混。族弟は許湯(陳国の相)。従姪(許靖の実兄の娘)の子は陳祗。一族の許敬・許訓・許相などは、皆三公まで昇っている。 18歳のときに謝甄の人物評価を受け、その後は自らも人物批評家としての活動を行うようになった(『三国志』)。若い頃は従兄と共に、月に一度に「月旦評」と呼ばれる人物評論会を開いていた(『後漢書』)。彼の影響力は絶大で、彼に称賛された者は出世し、称賛されなければ没落の道を辿ったといわれる(『太平御覧』)など、人物批評家として当時の一大家であった。現代においても、この許劭の故事に由来し、「月旦評」は人物の批評を意味するようになった。 同郷の袁紹は、許劭から批判されることを怖れて、その華美な装いを改めたという(『後漢書』)。また、若い頃の曹操も橋玄の薦めにより彼と会って自分を評価してもらい、「子治世之能臣亂世之奸雄」(『三国志』魏書武帝紀)または「君清平之奸賊亂世之英雄」(『後漢書』許劭傳)と称されている。

ウィキペディアより

許劭の一族
    No Data

許劭が登場する文献
  • 1-11,2-233,2-459,3-49,4-15~16,4-192,5-196,5-210,5-215,5-245,6-261,6-269,8-99.

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