正史三国志データベース 三国検索
ホーム人名事典 > 士壱

士壱

  • 人物番号: 1431
  • 姓 名 :  いつ
  •  字  : 
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

人物伝 ウィキペディアで 士壱 を調べる

士 壱(し いつ、? - ?)は、中国後漢末期から三国時代にかけての豪族。父は士賜(日南太守)。兄は士燮。兄弟は士䵋・士武。子は士匡。甥は士徽。 生涯 漢王朝で郡の督郵(行政官の監視役)を務めていた。交州刺史である丁宮が尚書に任命され、都の洛陽に召し出されることになったとき、壮大な送別会を開き、感激した丁宮から「私が三公になれたら、君を中央に招聘しよう」と約束された。丁宮が三公のひとつである司徒に昇進した時、士壱は都に呼び出された。士壱が洛陽に着いた時には丁宮が既に退官していたが、後任である黄琬に重く用いられ、士壱も黄琬のために働いた。董卓が朝廷の実権を掌握すると、黄琬と対立していた董卓は士壱を嫌い、布告出して昇進の機会を与えなかった。董卓が長安に遷都した後、士壱は辞職して帰郷した。 交州刺史の朱符が死去した後、嶺南社会の混乱収拾を図る兄の奏上によって、兄や彼の弟は交州各地の太守に任じられた。このとき士壱も合浦太守に任じられた。210年、士氏は交州に派兵して来た孫権の支配を受け入れている。 226年に兄が没すると、交州は呉の孫権によって、南海郡・蒼梧郡・鬱林郡・合浦郡を含む広州と、交趾郡・九真郡・日南郡を含む交州に分割された。

ウィキペディアより

士壱の一族
    No Data

士壱が登場する文献
  • 6-277.

正史三国志データベース 三国検索 SANGOKU KENSAKU SINCE 2003

© 2003 Forumkj