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石虎

  • 人物番号: 1871
  • 姓 名 : せき 
  •  字  : 
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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石 虎(せき こ)は、五胡十六国時代の後趙の第3代皇帝。明帝石勒の従子(甥もしくは1世代下の親族)に当たるが、早くに両親を失い、石勒の両親に養育されたため弟ともされた。唐代に編纂された『晋書』では、唐の高祖李淵の祖父である李虎の諱を避けるため、字で石季龍と表記されている。 生涯 嘉平2年(312年)から石勒の手足となり、前線で戦った。段部と講和の際に盟約に派遣された。嘉平3年(313年)、桃豹に代わり魏郡太守となって、鄴を任された。趙王元年(319年)、石勒が趙王を称すると単于元輔・都督禁衛諸軍事となり、趙王3年(321年)に幽州の段部を打ち破った。その後車騎将軍になり、離石の鮮卑を討った。趙王5年(323年)、青州の曹嶷を滅ぼした。趙王7年(325年)には洛陽から前趙の勢力を駆逐した。 趙王8年(326年)、石勒の太子石弘が鄴を任されると禁兵と車騎将軍の全てが石弘の配下に移され、王陽が非漢族の統率者にされた。太和元年(328年)8月、前趙の劉曜と戦い大敗したが、12月に石勒と共に洛陽を攻撃、翌太和2年(329年)9月に劉曜の太子劉煕を殺害して前趙を滅ぼし、伝国璽を石勒に送った。

ウィキペディアより

石虎の一族
    No Data

石虎が登場する文献
  • 未調査

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