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曹宇 彭祖

  • 人物番号: 1975
  • 姓 名 : そう 
  •  字  :  彭祖 ほうそ
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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曹 宇(そう う、生没年不詳)は、中国三国時代の人物。魏の皇族。字は彭祖。『三国志』魏書「武文世王公伝」に記録がある。父は曹操。生母は環夫人。同母兄弟は曹沖・曹據。異母兄は曹丕ら。子は曹奐。妻は張魯の娘(張魯伝)。 211年、後漢朝廷から都郷侯に封じられたのを皮切りに、217年には魯陽侯となった。魏帝国成立後は下邳王(222年)に昇格したが、224年に曹丕(文帝)が諸王をすべて県王に下すとの詔勅を発布したため、これにより単父県王とされた(詔勅の内容については曹據伝を参照)。曹叡(明帝)の時代、232年にこの命令が修正され、燕王に封じられている。 甥である曹叡とは、年齢が近いこともあって、曹叡の皇太子時代から親友の仲であり、曹叡の時代には皇族の中でも特に恩寵を受けていた。235年には入朝した。237年に鄴へ帰還したが、238年に再び中央へ召し出された。 239年に曹叡が病に倒れると、曹宇は見舞いのために連日訪れた(明帝紀注が引く『漢晋春秋』)。曹叡は曹宇を大将軍にして、曹肇・曹爽・夏侯献・秦朗ら魏の宗室や閣僚らと共に、猶子曹芳を補佐させようとした(明帝紀)。

ウィキペディアより

曹宇の一族
    No Data

曹宇が登場する文献
  • 1-272~275,1-354~355,2-128,2-165,3-87~89,3-343,3-350.

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