正史三国志データベース 三国検索
ホーム人名事典 > 陳寿 承祚

陳寿 承祚

  • 人物番号: 2491
  • 姓 名 : ちん 寿じゅ
  •  字  :  承祚 しょうそ
  • 出身地 : 巴郡はぐん
  • 生没年 : 233 ~ 297
  • 性 別 : 男性

人物伝 ウィキペディアで 陳寿 を調べる

陳寿(ちんじゅ) 中国明初期の官吏。朱高煦の讒言を受けて獄に下され死んだ(陳寿伝) 中国明代、弘治期の官吏。清貧をもって知られ、身は給侍中・一品階に至った(陳寿伝) 中国西晋の官吏。本項で解説する。陳 寿(ちん じゅ、建興11年(233年) - 元康7年(297年))は、三国時代の蜀漢と西晋に仕えた官僚。字は承祚(しょうそ)。『三国志』の著者である。自身の伝は『晋書』にある。甥に陳苻(字は長信)と陳莅(字は叔度)がいる。 生涯 初め譙周に師事し蜀漢に仕えるも、宦官の黄皓に逆らって左遷された。また、父親の喪に服していた時に病気に罹り、下女に丸薬を作らせていた。このことが発覚すると、親不孝者として糾弾された。これは儒教の礼教では、親の喪に服している時にわが身を労わるのは、もっての外とされていたからである。このため蜀漢滅亡後も、しばらく仕官できなかった。 やがてかつての同僚羅憲によって推挙され、西晋に仕えた。武帝(司馬炎)にその才能を買われて、益州の地方史である『益部耆旧伝』・『益部耆旧雑記』や、蜀漢の諸葛亮の文書集『諸葛亮集』を編纂し、張華らに高く評価された。

ウィキペディアより

陳寿の一族
    No Data

陳寿が登場する文献
  • 1-386,1-522,2-293,5-145,5-148,5-152,5-307,5-356,5-458,6-27,6-66,7-169,7-288.

正史三国志データベース 三国検索 SANGOKU KENSAKU SINCE 2003

© 2003 Forumkj