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禰衡 正平

  • 人物番号: 2602
  • 姓 名 : でい こう
  •  字  :  正平 せいへい
  • 出身地 : 平原郡へいげんぐん
  • 生没年 : 173 ~ 198
  • 性 別 : 男性

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禰 衡(でい こう、あるいは「ねい こう」とも、173年-198年)は、中国後漢末期の人。字は正平。青州平原郡般県(山東省楽陵市) の出身。 興平年間、荊州に避難した。建安年間の初め、遷都されたばかりの許に上京した。しかし、才能を鼻にかけて傲慢な態度をとったうえ、他人の評価に対しては酷評を行なったため、人々から憎まれた。ただ、孔融だけは禰衡を高く評価し、曹操にも推薦していた。 『三国志』の注『平原禰衡伝』・また『後漢書禰衡伝』によると、若い頃から並外れて恵まれた才能をもっていたが、それを鼻にかけて傲慢不遜な態度をとり、かつ奇矯な言動が多い上に、しかも桁外れで徹底していた。『後漢書』には、「少ク(わかく)シテ才弁アリ。才ヲ恃ミテ(たのみて)傲逸(ごういつ)ス。而シテ(じして)気尚剛傲(きしょうごうごう)ニシテ矯ヲ好ム。」とある。 196年、24歳の時に禰衡は許に来てから、名刺を持ったまま誰とも面会しようとしなかった。ある人が「なぜ陳長文(陳羣)や司馬伯達(司馬朗)のところへあいさつに行かないのか」と尋ねると「卿は豚殺しや酒売り(のような卑しい連中、の意)のところに私を行かせるつもりか」と断った。

ウィキペディアより

禰衡の一族
    No Data

禰衡が登場する文献
  • 2-241~245,2-402,3-359,3-398,8-64.

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