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姚伷 子緒

  • 人物番号: 3019
  • 姓 名 : よう ちゅう
  •  字  :  子緒 ししょ
  • 出身地 : 巴郡はぐん
  • 生没年 : ? ~ 242
  • 性 別 : 男性

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姚 伷(よう ちゅう、? - 242年)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。字は子緒。益州巴西郡閬中県の人。

事績
劉備が益州を平定した後、工曹書佐に任命された。建興元年(223年)、広漢太守となった。同郡の龔禄と並んで名声を博しており、張嶷と親しく交わっていた。建興5年(227年)、諸葛亮が漢中に駐屯した際、召し寄せられて丞相掾となった。文武に秀でた人材を推挙したので、諸葛亮は賞賛して「人材を推挙すること以上に国家の益になることはない。人材を推挙する者は、誰しも自分の好む分野にだけ熱心となるが、姚伷は文武双方で優秀な人材を増やしてくれている。博雅であると言えよう。願わくば、他の掾たちもこのことを心がけ、期待に応えるように」と語った。その後、参軍となった。諸葛亮の死後も昇進を続け、尚書僕射まで至った。人々は姚伷の誠実さと純粋さに敬服していたという。延熙5年(242年)に死去した。

ウィキペディアより

姚伷の一族
    No Data

姚伷が登場する文献
  • 5-398,5-474~475.

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