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楊弘

  • 人物番号: 3038
  • 姓 名 : よう こう
  •  字  : 
  • 出身地 : 出身地不詳
  • 生没年 : ? ~ ?
  • 性 別 : 男性

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楊 弘(よう こう、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の政治家。

略歴
袁術配下の長史。史実における具体的事跡は不明。建安4年(199年)6月、袁術が没落して病死すると、楊弘は張勲と共に孫策を頼ろうとしたが、道中で劉勲の待ち伏せにより捕虜にされた。その後の楊弘の行方は不明である。

物語中の楊弘
小説『三国志演義』では、「楊大将」という人名で登場するが、由来は不明。袁術が孫策を討とうとすると、楊大将は、先に小沛の劉備を討伐すべきと主張し、徐州の呂布に兵糧を送って懐柔するよう進言する。しかし、呂布はその懐柔策に乗らず、小沛を攻撃した袁術の部将紀霊と劉備を調停してしまう。 後に曹操らの連合軍が寿春へ攻め込んでくると、楊大将は寿春を捨てて淮南へ逃げるよう袁術に薦め、自分もこれに同行する。なお、寿春には李豊ら4将が残留するが、曹操に敗れて残らず処刑されている。楊大将もその後は登場しない。

ウィキペディアより

楊弘の一族
    No Data

楊弘が登場する文献
  • 6-39.

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