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楊竺

  • 人物番号: 3046
  • 姓 名 : よう じく
  •  字  : 
  • 出身地 : 広陵郡こうりょうぐん
  • 生没年 : ? ~ 250
  • 性 別 : 男性

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楊 竺(よう じく、? - 245年?)は、中国三国時代の呉の人物。徐州広陵郡の人。兄に楊穆。

経歴
弁才が優れていた。若くして名声を獲ていたが、一方で性格の悪さは陸遜に心配されて、楊穆には一族から別けるよう勧めていた。やがて魯王孫覇の賓客になる、太子派の吾粲や陸遜と対立した。吾粲は孫権に長幼の序を説き、孫覇を中央から遠ざけ夏口の指揮官とすることや、楊竺の中央からの排除を上奏した。かえって魯王や楊竺らの反発を買い、吾粲は獄に下された。この頃に孫権の召見を受けたとき、楊竺が孫覇の文武の才能を述べ、孫覇の立嫡を積極的に勧め、孫権は同意したが、密談の内容が立ち聞きされて外部に漏洩してしまった。孫権が、密談を漏洩した者を探し出すため楊竺を詰問すると、楊竺は「最近では陸胤だけ武昌へ行きました。きっと彼だ」と答えた。しかし陸胤は楊竺が密談の内容を自分に言ったと誣告した。これによって楊竺は陸胤とともに収監されてしまった。楊竺は厳しい取り調べに堪え切れず、自分が漏らしたと答えたため処刑された。赤烏13年(250年)、孫権は孫覇にも死を命じた。これに伴い、楊竺は死体を長江に遺棄された。

ウィキペディアより

楊竺の一族
    No Data

楊竺が登場する文献
  • 7-258~259,7-293~294,7-333,7-335,7-343,8-41~42.

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