楊 密(よう みつ、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。
正史の事跡
『三国志』魏書董卓伝注に引く『漢書』にのみ、その記載がある人物。郭汜配下。興平2年(195年)に中郎将の地位にあった。 この年、李傕は献帝を手中に収めた後、公卿を郭汜の下に派遣して講和させようとした。郭汜は公卿の1人楊彪に助言を求めたが、楊彪が李傕と郭汜の2人を批判したため、郭汜は怒ってこれを斬ろうとした。しかし、楊密や他の郭汜側近が諫止したので、ようやくその場は収まったという。同様の場面は『後漢書』董卓伝にもあるが、こちらでは楊密の名は現れない。小説『三国志演義』にも登場し、史実と同様の行動をとっている。