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梁習 子虞

  • 人物番号: 3420
  • 姓 名 : りょう しゅう
  •  字  :  子虞 しぐ
  • 出身地 : 陳国ちんこく
  • 生没年 : ? ~ 230
  • 性 別 : 男性

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梁 習(りょう しゅう、? - 230年)は、後漢末から三国時代にかけての武将・政治家。字は子虞。梁施の父。陳郡柘県の人。 『三国志』魏志に独立した伝がある。また、裴松之によると、『魏略』においての伝は徐福、厳幹、李義、張既、游楚、裴潜、趙儼、韓宣、黄朗と同じ伝に収録されていたという(『三国志』魏志「裴潜伝」)。 生涯 はじめは郡の綱紀となり、後に後漢の司空であった曹操に仕え、各地の長や県令を務めた。 海西の令を務めていたとき、海西・淮浦の住民が反乱を起こしたので、都尉の衛弥と共に広陵郡の綱紀の徐宣の家に赴き救出してやったという(『三国志』魏志「徐宣伝」)。 中央に戻ったときには西曹令史となり、しばらくして西曹属になった。同僚の王思が曹操の不興を買いそうになったのを庇い、共に死罪となりそうになったが、その姿勢を見た曹操にかえって義士として賞賛された。 并州が曹操の支配圏に収まったころ、別部司馬のまま并州刺史の代行となった。そのころの并州は、袁紹時代に刺史であった高幹の騒乱の影響で武装した豪族が跳梁跋扈し、近隣の異民族である匈奴の影響も及んでいた。

ウィキペディアより

梁習の一族
    No Data

梁習が登場する文献
  • 1-202,3-109,3-492,4-18,4-52,4-57.

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