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韋曜 弘嗣

  • 人物番号: 0007
  • 姓 名 :  よう
  •  字  :  弘嗣 こうし
  • 出身地 : 呉郡ごぐん 曲阿県きょくあけん
  • 生没年 : 204 ~ 273
  • 性 別 : 男性

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韋 昭(い しょう、? - 273年)は、中国三国時代の呉の政治家・儒学者・歴史家。字は弘嗣。揚州丹陽郡雲陽県(江蘇省丹陽市)の人。子は韋隆。 『三国志』「呉書」では韋曜と記載されている。これについて、裴松之は注の中で、晋の司馬昭と諱が同じであることを避けるための(避諱)とするが、清の銭大昕は、『三国志』では「昭」の名を持つ人物が多数見られ、「薛綜伝」の中には、韋曜と連名で周昭なる人物が挙げられている箇所があることから、元々「韋曜」という名も持っていたのであろうと推測する。 丞相府の役人をはじめに、西安県令・尚書郎を務め、太子中庶子に昇進して当時の皇太子である孫和に仕えた。この頃に孫和の命を受けて、『博奕論』を著して博奕(六博や囲碁)を批判している。 孫亮が即位すると、諸葛恪の推薦を受け太史令となり、華覈や薛瑩らと共に『呉書』の編纂を担当した。孫休には盛沖と共に侍講への就任を望まれたが、政治を専断していた側近の張布に阻止された。 孫皓の代には当初は寵愛を受け、高陵亭侯・侍中・左国史に採り立てられた。

ウィキペディアより

韋曜の一族

韋曜が登場する文献
  • 1-88,6-117,6-187,6-189,6-405,7-43,7-333,8-169,8-195.

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