于 吉(う きつ、?-200年)は、中国後漢末期の道士。徐州琅邪郡の出身。 先祖以来、東方に萬居をし、呉会(呉郡・会稽一帯)を行き来して精舎(道教徒の集まる教会)を建て、香を焚き道教経典を誦読し、符や神聖な水を用いて病気の治療を行なっていた。呉会の人々には彼を信仰するものが多かった。 順帝の時代、薬草を採りに山に入ったところ、曲陽の水辺で白い絹に朱の罫を引いた神書『太平清領道』(zh)百余巻を手に入れたとされる。 三国志演義 小説『三国志演義』では、孫策が許貢から受けた怪我の療養中、袁紹の元から使者として訪れた陳震を持て成すために、呉郡の城門の楼上で部将や賓客たちと宴会を開いている時に登場する。 于吉は丁度そのとき、盛装をし漆で絵が描かれた小さな函を地に引きずりながら、その門の下を小走りに通り過ぎようとする。彼は「人々の病を治すありがたい仙人」として知られていた為、部将や賓客の3分の2を超える者までもが、楼を降りて于吉を出迎え礼拝してしまう。
ウィキペディアより