于 詮(う せん)は、呉の武将。257年5月、魏の征東大将軍諸葛誕が司馬氏の専横に対して反乱を起こし、寿春城に立てこもった。朝廷は城を包囲するため大軍を送ったが、その対応は遅れがち。この機を逃すまいと呉は諸葛誕に援軍を送った。このとき于詮も従軍した。すぐさま城の包囲網は完成し、半年以上の篭城戦が続く。翌年2月には兵糧がそこを尽き、焦りから内紛が生じてついに陥落。諸葛誕は斬られた。于詮は「敵に降るなど己の道ではない」と、諸葛誕に殉じて敵陣に切り込んでいった。だが、むなしくも戦場に散った。
ウィキペディアより