衛 慎(えい しん)は、魏の明帝曹叡に仕えた。遼東郡太守の公孫淵が呉の孫権と通じようとしたとき、詔書をたずさえ使者として邵瑁らと共に遼東へ赴き、明帝の辺境の人民を思いやる気持ちと公孫淵の非をさとす意を伝えた。