袁亮の品行
袁亮は、心正しく堅固で学問品行に優れていた。袁亮は、父の袁覇と並んで評判のあった何!ki04%の子何曾と仲が良かった。袁亮と何曾は、袁渙と並ぶ名声があった。袁亮は何晏や!tou01%!you05%らの人柄を憎悪し、論説を書いて彼らを批判した。官位は、河南尹、尚書にまで昇った。
『魏書』に見える袁亮
魏王朝が司馬師に専横され、四代皇帝曹芳が廃された。このときの皇太后に上奏する文書に、長合郷侯として袁亮の名が出てくる。司馬師は、曹芳を廃し、曹髦を皇帝に立てるため、迎えの車を出した。このとき尚書であった袁亮も随行した。254年9月のことである。
『魏氏春秋』に見える袁亮
256年2月、皇帝曹髦は太極殿で大勢の臣下を招いて宴会をもよおした。このとき、曹髦は侍中の荀顗、尚書の崔賛、袁亮、鍾毓、給事中・中書令の虞松らと礼法制度について論じたあげく、帝王の優劣について言及したという。