『漢晋春秋』に見える王贇
238年9月、蜀の陰平郡太守の廖化が謀反をおこし、守善羌侯の宕蕈の陣営を攻撃した。雍州刺史の郭淮は、広魏郡太守の王贇と南安郡太守の游奕を派遣し、軍隊を二手に分けて進軍させた。両軍は、山の東西から挟み撃ちにして廖化を包囲し、廖化の撃破は目前に迫ったかに見えた。そこで郭淮は皇帝曹叡に戦況を報告した。曹叡は、郭淮の指揮の誤りを指摘し、別営のうち必要のないものは、引き上げて地形のよい土地に依拠させよと勅令を出した。しかし勅令が届く前に、游奕軍は廖化によって撃ち破られ、王贇は流れ矢にあたって戦死した。