194年、曹操が二度目の陶謙討伐に出発した。兗州には少しの兵しか残っておらず、王楷は、張超、陳宮、許汜と結託して曹操に背いた。陳宮が張邈に呂布を迎え入れるよう説得し、張邈はこの意見に従った。曹操が戻ってくると、呂布が降伏しようとした。王楷らは謀反の罪を負っているので呂布の降伏を阻止した。『英雄記』によると、このとき呂布陣営では袁術に救援を依頼することになり、王楷は許汜とともに袁術に危急を告げる使者として派遣された。袁術は以前息子の縁談を呂布に破棄されたため、援軍の要求を断った。王楷と許汜は、呂布が敗北すれば袁術も敗北することになることを述べて説得した。かくて袁術は援軍の準備をした。
ウィキペディアより