後漢末の人物。群雄が各地に割拠していた時期、劉岱と橋瑁は仲が悪く、劉岱は橋瑁を殺害した。このとき、王肱は東郡太守の役につけられた。191年7月、黒山賊の十余万の軍勢が魏郡を攻略した。東郡太守の王肱はこれを防ぎきれなかった。曹操が兵を率いれて東郡に入り、濮陽において賊を打ち破った。冀州を奪ったばかりの袁紹は曹操を東郡太守任命を上奏し、東郡太守は曹操に取って代わられた。