『益部耆旧伝』によると、実務の才をもって出世し督軍従事となり、法律を公平に執行した。しだいに昇進し、前任の何祗の死後、代わって犍為太守となり、すぐれた治績をあげた。聡明さは何祗に及ばなかったが、文章表現においては何祗以上であった。