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王淩 彦雲

  • 人物番号: 0301
  • 姓 名 : おう りょう
  •  字  :  彦雲 げんうん
  • 出身地 : 太原郡たいげんぐん 祁県きけん
  • 生没年 : 172 ~ 251
  • 性 別 : 男性

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王 凌(おう りょう、172年 - 251年)は、中国後漢末期から三国時代の武将。魏に仕えた。字は彦雲。并州太原郡祁県(現・山西省晋中市太谷県)の人。父は王宏。叔父は王允。兄は王晨。子は王広・王飛梟・王金虎・王明山。 同僚の蒋済は王凌のことを、文武を兼ね備えた人物だと評した。 192年、叔父が李傕らによって殺害されると、兄と共に城壁を乗り越えて、郷里に逃げ戻った。後に孝廉へ推挙され、発干県長・中山太守を歴任した。やがて曹操に認められ、中央に出仕した。 222年、呉の呂範との戦いの功績で、建武将軍となり宜城亭侯に封じられた。 228年、石亭の戦いでは負け戦となったが、王凌が奮戦して敵の包囲を破ったので、曹休を逃がすことができた。 王凌は統治能力に優れていたため、兗州・青州・豫州・揚州の刺史になった。また人民は王凌の統治を称賛している。特に、王基と共に荒廃した青州の政治を立て直した時は、民から非常に称えられた。満寵とは意見が対立したため、その失脚を狙ったが失敗したという。呉の武将の孫布が魏への降伏を申し出た際には、満寵が偽装降伏であると見抜いたが、王凌はそれに従わず孫布を迎えに行くために出兵し、大敗した。

ウィキペディアより

王淩の一族

王淩が登場する文献
  • 1-203,1-289,1-298~300,3-209,3-302,3-360~361,4-18,4-159~160,4-184,4-196,4-210,4-224,4-247,4-253,4-255~256,4-282,4-349,6-128,6-149,6-154,6-376,8-108.

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