華 佗(か だ、? - 建安13年(208年))は、中国後漢末期の薬学・鍼灸に非凡な才能を持つ伝説的な医師。本籍は沛国譙県(現在の安徽省亳州市。また河南省永城市という説もある) 。「華陀」とも書く。なお、「華佗」とは「先生」を意味する尊称が人名として用いられたもの。字は元化。諱は不明。高き医徳を積みつつも権力に屈する事を拒んだ事から非業の死を遂げたとされる。 徐州で学問し『経書』を学んだ。陳珪により孝廉に推挙されたり、黄琬に招聘されたりしたが、出仕しなかった。養性の術に通暁しており、当時の人々は彼の年がもう百歳になる筈だとしたが、見たところは若々しかった。また、華佗は医術や薬の処方に詳しく、麻酔を最初に発明したのは華佗とされており、「麻沸散」と呼ばれる麻酔薬を使って腹部切開手術を行ったという。そのため、民衆から「神医」と呼ばれた。また、屠蘇や「五禽戯」と呼ばれる体操健康法(導引)の発明者とも言われている。 その評判を聴いた曹操の典医となり、持病であった頭痛や目眩の治療に当たっていた。しかし、華佗は自分が士大夫として待遇されず、医者としてしか見られないことを残念に思っていた。
ウィキペディアより