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蒯越 異度

  • 人物番号: 0390
  • 姓 名 : かい えつ
  •  字  :  異度 いど
  • 出身地 : 南郡なんぐん 中廬県ちゅうろけん
  • 生没年 : ? ~ 214
  • 性 別 : 男性

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『』より 蒯越(かい えつ、? - 214年)は、中国後漢時代末期の政治家、武将。字は異度(いど)。荊州南郡中廬侯国の人。楚漢戦争期の説客である蒯通の子孫。同郷同姓の人である蒯良との関係は不明。 正史の事跡 最初は何進に東曹掾として仕え、宦官殺害を進言したが容れられなかった。その後、蒯越は自ら望んで汝陽の令として荊州に赴き、劉表配下の大将となった。初平年間に、蒯越は謀略と弁舌を駆使して、荊州で劉表に対立していた地方官や豪族を次々と滅ぼし、あるいは降伏させ、劉表の荊州統一に大きく貢献している。後、献帝の詔勅により、章陵太守を任され、樊亭侯に封じられた。 建安13年(208年)、劉表が死去し劉琮が後継すると、曹操が荊州進攻を図る。蒯越は、同僚の韓嵩や傅巽と共に曹操への降伏を劉琮に進言した。劉琮はこれを受け入れた。降伏後、蒯越は曹操から列侯に封じられ、光禄勲となった。曹操は、荀彧への手紙の中で「荊州を手に入れたことは嬉しくないが、蒯異度を手に入れたことは嬉しい」と記している。 建安19年(214年)に死去。臨終の際、曹操に対し家族の保護を要請する手紙を送った。

ウィキペディアより

蒯越の一族
    No Data

蒯越が登場する文献
  • 1-508~509,1-511,1-514,1-516~518,5-37.

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