韓 浩(かん こう、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将・政治家。曹操に仕えた。司隷河内郡の人。字は元嗣。養子は韓栄。『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」、およびそれが引く『魏書』に多くの記述がある。 生涯 後漢末の戦乱の中、故郷の県が山岳地帯に隣接していたため、韓浩は人を集めて盗賊から県を自衛した(『魏書』)。 後に王匡から従事に任命され、王匡の軍に従軍して董卓を討つため孟津に出兵した。董卓が、河陰県令であった舅の杜陽を人質にして韓浩を招いたが、彼は応じなかった。この話を聞いた袁術は韓浩の態度に感心し、韓浩を招いて騎都尉とした(『魏書』)。 その後、韓浩の名声を聞いた夏侯惇は彼との面会を要望し、韓浩を大いに評価した。また、兵を率いさせ曹操の討伐軍に随行させた(『魏書』)。 夏侯惇が呂布との戦いで人質となった際には、主のいない軍をまとめ、かつ夏侯惇を人質にした者に対し厳しい態度で臨み、夏侯惇には国法を守るため、見殺しにすることを涙ながらに詫び、そのまま攻撃を加えた。
ウィキペディアより