韓 嵩(かん すう、生没年不詳)は、中国後漢末期の政治家。字は徳高。荊州南陽郡の人。 劉表に仕え、政治・外交において才能を発揮した。曹操と袁紹の対立が明確になると「殿が天下を狙うのでしたら、両者の疲弊を狙って攻め立てるべきです。もし、その志がないのでしたら曹操に帰順なさるべきです」と、劉表に進言した。蒯越も同様の進言をしたが、それでも劉表は決断できず、韓嵩に曹操の元へ視察に赴くよう命じた。韓嵩が「もし私が天子様から官職を賜りましたなら、天下の臣となり、殿のために命を投げ出せなくなります」と述べたが、劉表は構わず派遣を命じた。 果たして韓嵩は献帝から侍中に任じられたため、帰国すると劉表に曹操との内通を疑われ処刑されそうになった。重臣や蔡氏のおかげで死刑は免れたが投獄された。劉表の死後、後を継いだ劉琮に対して曹操への降伏を進言した。劉琮降伏後、自身も曹操に仕えた。
ウィキペディアより