賀 達(が たつ、? - 233年)は、中国三国時代の呉の部将。揚州会稽郡山陰県の人。父は賀斉。弟は賀景。子は賀質。当時、弟の賀景ともにそれぞれ立派な評判があって、優れた部将であった。賀達は軍征の度に功を立てた。が、身勝手にふるまって掟を破ることがしばしばあったので、爵位を与えられることはなかった。 気前がいい人柄で男伊達で行動し、その決断力と果敢さは群を抜いていた。233年(嘉禾2年)3月、孫権の命で張弥・許晏らと共に兵1万と九錫の礼物と策命書を携え、公孫淵の内通の使者として呉を発った。公孫淵を燕王に封じて任務を終えたのち、心変わりした公孫淵にともども殺されて、その首を魏に送られた。
ウィキペディアより