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許攸 子遠

  • 人物番号: 0470
  • 姓 名 : きょ ゆう
  •  字  :  子遠 しえん
  • 出身地 : 南陽郡なんようぐん
  • 生没年 : ? ~ 204
  • 性 別 : 男性

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許 攸(きょ ゆう、? - 建安9年(204年))は、中国後漢時代末期の参謀、政治家。字は子遠。荊州南陽郡(現在の河南省南陽市)の人。 正史の事跡 初期の事跡 『三国志』魏書袁紹伝注に引く「英雄記」によれば、弱年の頃は袁紹や張邈と「奔走の友(心を許しあい危難に駆けつける仲間)」の交わりを結んだという。霊帝の時代、冀州の王芬と手を組み霊帝を廃して、合肥侯を帝に擁立しようと画策したが、失敗したため逃亡し、袁紹配下となった。建安4年(199年)頃には、田豊・荀諶と並び称されるほどの袁紹陣営の参謀となっている。 しかし、上記のように朝廷に対して造反を画策したこと、性格的に金銭への強欲な癖があったことなどから、進言が袁紹に容れられることはほとんどなかったと言われている。建安5年(200年)、官渡の戦いのとき、袁紹に曹操側の本拠許都と兵站路を襲撃し、曹操軍の死命を制する戦略を進言したが、受け入れられなかった。また、ほぼ時を同じくして、許攸の家族が法を犯したとして審配に逮捕されてしまった。

ウィキペディアより

許攸の一族
    No Data

許攸が登場する文献
  • 1-14~15,1-45~46,1-48~50,1-448,1-463,1-485,2-249~250,2-269~270,2-273,2-395,2-404,8-63.

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