黄 皓(こう こう、215年以前~263年以降)は、中国三国時代の宦官。蜀漢に仕えた。卑しい身分から出世して、皇帝劉禅の寵愛を受けて権力を掌握し、政治を壟断して蜀漢の滅亡を招いた。 諸葛亮の死後、劉禅に寵愛され引き立てられた。監視役の董允の存命中は黄門丞という低い役職のままであったが、陳祗が董允の死後に後任となるや、結託して政務を預かるようになり、黄門令に昇進した。陳祗の死後は一気に中常侍・奉車都尉へ昇格し、国の実権を握るようになった。 景耀5年(262年)、姜維を追放して代わりに閻宇を立てようと画策した。この画策は黄皓の独断ではなく、諸葛瞻・董厥も同調している。姜維は黄皓の専横を憎み、処刑するよう劉禅に請願したが聞き入れられなかったため、以降成都に帰還出来なくなった。なお、黄皓は『三国志』の著者である陳寿が蜀漢に仕えていた際、彼を憎んで免職にしている。また、甘陵王の劉永は黄皓を憎んでいたため、この事で黄皓から讒訴され、十余年に亘って朝廷への謁見が許されなかった。
ウィキペディアより