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史渙 公劉

  • 人物番号: 0511
  • 姓 名 :  かん
  •  字  :  公劉 こうりゅう
  • 出身地 : 沛国はいこく
  • 生没年 : ? ~ 209
  • 性 別 : 男性

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史 渙(し かん、? - 209年)は、後漢時代末期の武将。字は公劉。豫州沛国(現在の江蘇省沛県を中心とする地域)の人。曹操配下の将。 生涯 曹操が挙兵した以来から随行していた将である。若い頃は任侠の徒にして勇敢であり、忠義と武勇によって著名であった。当時は行中軍校尉の地位にあり、遠征時は常に諸将を監督し、曹操からの信頼も厚かった。 建安4年 (199年)には、袁紹と合流しようとしていた眭固を曹仁や楽進ら諸将と共に攻撃し、眭固を斬殺。その軍勢を手中に収めることに成功した。建安5年(200年)、官渡の戦いで、曹操は荀攸の計略を用いて、徐晃・史渙を派遣して韓猛の輸送隊を撃破し、数千輌の穀物輸送車を焼き払った。これにより袁紹軍は多くの兵糧を失ってしまった。 建安12年(207年)、曹操が柳城の袁尚らを討伐しようとした際に、遠征して敵地に深く進入することは、万全の計画ではないと考え、同僚の韓浩に曹操を諌めようと相談を持ちかけた。

ウィキペディアより

史渙の一族
    No Data

史渙が登場する文献
  • 1-40,1-47,2-91,2-142,2-154,2-273,3-223,3-233.

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